ねこまくらブログ

ねこまくらのしこうさくごを書き綴るブログです。

座右の銘について~甘えと自立について。

 

そろそろ私の人生にも座右の銘というものが欲しくなってきた。

 

座右の銘というからには

自分がこうありたいというものや、心の支えになるような言葉がいい。

自然とじぶんの人生に馴染むようなものがいい。

 

‘‘The Show Must Go On”

 Queenの曲名から。

 幕が開いたからには続けなければならない。

 

月を待出ずるつべし、散る花を追うことなかれ。

 (中根東里)

 言葉の通り、焦らず、ゆっくりと時機を待つべし。

 

今日を生きていると、明日は、もう一つの光がさすんぢやないか。

 (正宗白鳥

  言葉の通り、正宗の死生観

 

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【本題:甘えと自立について】

 

そんでね、竹内センセの本の孫引きだけども

『日本人の死生観』という本には

正宗白鳥の死生観に対して「甘えの死」である。

なんてことを述べている箇所があるらしい。

 

甘えというのはひどく嫌な響きのする言葉だなぁ、と思う。

もう、わたしなんて甘えについてのこの文を書いている時点で胃の辺りにもわっとした

不快な重さを感じている。

それは、「甘えるな」という言い回しに使われるような攻撃性を帯びた言葉だからじゃないか。大人にとっては特に。

 

そういえば

ネット上でよくみられた不快な言葉の一つに「鬱は甘え」というものがある。

西洋には「甘え」という言葉はないらしいのだけど

「鬱は甘え」を英訳→和訳すると「鬱に頼るな」になるのだろうか。

 

しかし、これでは元のことばに対して、どうも攻撃性が半減している。

というのも「鬱は依存」では意味が通らないので形をかえてみたが

「鬱に頼るな」ではその人が発した一個人のメッセージになるからである。

 

どうも「鬱に頼るな」という一個人のメッセージを

「甘え」ということばを使うことで

あたかもそれが事実であるかのように仕立てあげた言葉が「鬱は甘え」という気がする。

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【個人的な話】

わたしは自立していない人間で(特に精神的に)

それに対して目に見えないプレッシャーを感じることもある。

 

だから、甘えという言葉に対して、嫌な感じを必要以上に受けるのだろう。

でも、たまに目にする

自立は甘え(成熟しろ)みたいに

自立と甘えセットで考える必要はないと思う。

 

なぜなら自分に対して「甘え」ということばを叱咤として用いるときに

「甘えてはいけない」という否定形で用いることになるからである。

甘えるときには甘えなければ、健全に自立することは難しいだろう。

しかも、昨今のネットのせいで他人の言葉として刷り込まれつつあるのも良くない。

「甘えるな」の他人の言葉を自分に使ってどうして自立に繋がろうか。

 

自立がなんだか脅迫めいた言葉になってしまっていることが

むしろ自立から人(というか私)を遠のかせている気がしてならない。

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ところで

わたしは海外ドラマのフレンズが好きでたまに観るんだけど

自立に関する好きなシーンが1話にある。

 

生活のあてがない状態で

母親のクレジットカードを好き勝手に使って生活をしよう(甘えよう)としている

女性(レイチェル)。

それをみたルームメイトたちがクレジットカードをハサミで切るように促す。

レイチェルはいやいやながらもクレジットカードを切ると

ルームメイトたちが笑顔で

「ようこそ、リアルワールドへ!」と彼女の自立を歓迎する。

 

という一連のシーン。

自立って、不安だし、面倒なことが増えるけれども

みんながいるから楽しくやれるし、頼れる相手もいる。

という名シーンである。

 

ちなみに、そのあとのルームメイトの台詞は

「リアルワールド(現実)はくそったれ、でもきっと好きになるわ。」

 

自立ってこんなイメージがいい、と私は思う。

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