ねこまくらブログ

ねこまくらのしこうさくごを書き綴るブログです。

自立への長い道のり。

 

午前中に

慈悲の瞑想をした。

気持ちがだいぶ軽やかになった。

 

その後、8ステップマインドフルネスを検索したところ

毒親を克服しつつありますよーみたいなことが書いてあるサイトにいきついた。

これがいけなかった。

 

救いを求めるな自立せよ!の言葉が

頭のいい人特有の緻密そうな文章と共に踊る。

 

気づいたら、そのサイトを50分くらいみていて

明らかに心は慈悲どころでなくなっていた。

「たしかにその通りだ、なんとかしなくちゃ」

「今日も何もしていない、ヤバい」

「苦しい」

 

・・・なんてこったい。

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正論は正論であるけれども、わたしは受け取りません。

というか、もう何千年と生き残ってきた生きる術と

どこの誰だかも分からない文章を読んで、どちらを信じるというのか。

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どうしてこうなかったか。

自分に対する慈悲が足りなかったために

他人の考えを利用して自分を叱咤してしまったのである。

 

多かれ少なかれ、人は何かに頼って生きているわけなのだし

何千年と信仰というものはなされてきたのである。

人は一人では生きられないのだし

フィクションがなければ、人は生きづらいのである。

 

ならば、自分が信じられるものに集中して信じること。

これこそ、合理的というもので、自分の人生を生きられるということで

きっと自然な自分にも繋がっていくのではないかなぁと思う。

 

自立とは

誰かに助けを求められるようになること

なんて言葉が何かの本に書いてあったけれども

自分の中で少しアレンジして

 

救いは求めないけれども、信じる。

 

こういう生き方をしていこうと思った。

誰かの救済は求めない。

でも、自分で自分を助けるために、誰かを信じることはする。

ということ。

 

そう考えてみると

これまで、色んな本や思想をつまみぐいして飛び回ってきた自分というのは

きっと救いを求めるだけで、信じていなかったから、そういうことをしていたんだなぁ

と思う。

そういう自分もいたのだ、っていう一つの気づきとして受け入れよう。

 

そして、慈悲の瞑想とつなげる…のは少し無理があるけれども

↓ググってたら、対人恐怖にききそうな言葉を発見したので信条にしたい。

 
「人を信じよ、しかし、その百倍も自らを信じよ。」

by.手塚治虫

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良い気づきがあったので、あのブログをみて良かったかなぁとも思える。

糧にできたのは

もしかして、昨日読んだ水島先生の本のおかげかもわからん。

 

ブログは思ったよりいいかもなー。

書きながら自分の感じていることや考えていたことが

整理される。