自分のコンプレックスと反応を知っておくこと。
先ほど、1時間ほどまえだろうか。
ひどく感動的感傷的な文を書いた気がする。
現在はまぁ、しんどさが顔をちょこちょこと出している状態で
いつも通り ジュピターを聴きながら平静を保とうとしている。
幸せはなかなかに儚いものだ。
どうしてこうなったか。
ネットによる刺激を受けすぎたことが要因の一つであるように思う。
ここⅠ時間ほどのネットサーフィンが
私の頭いいコンプレックスの逆鱗に触れてしまったのだ。
ブログやツイッターをはじめ
ネットでは数多くの優秀な人たちの思考に触れることができる。
が、しかしだ、そんなものに触れても仕方がないのではないか。
私がそんなものに触れていたら
感心が過ぎ去ったころには嫉妬で満ち溢れてしまう。
優秀な人の言葉は書籍があれば十分である。
ネットで
優秀な人たちの思考に数多く触れて感心したところで
私は私なのである。どうにもならない。
もちろん、いい意味で。
こうなったのはきっと
おそらく小学生くらいのとき
頭がいいという承認に自己肯定とアイデンティティを捧げすぎて
しまったのだろう。
そのためか
わたしは、誰か頭がいい人に感心したあとは自己卑下が起こりやすい。
脳に炎症がおきるような感じ。
あぁ、やっぱり私は頭が良くない(=価値がない)んだ・・・みたいにね。
そして、頭がよくなりそうな本を買い求めるが
元々の関心が自分から湧き出たものではないので一過性になりやすい。
だから
引っ掻き回すと悪化するし、ほっとけば収まるので
受け流すのが賢明。
「蜘蛛は綱張る私は私を肯定する」
理由はどうあれ、苦痛になるものをわざわざみる必要はないし
コンプレックスを発条になんて話はその後でも別に構わないでしょう。