認知のゆがみとかいう手ごわい壁。
こんにちは。
同じところをぐるぐる回っているような
同じような悲劇を違う舞台で演じているような
バットエンドへ続く迷路をさまよっているような
人生なんでこんな風になっちまったんだ
まじかよ…べいべえ…
ってなっている皆さん。
今のわたしがそれです。
とはいっても今この文章を書いている私がそうであって
未来のわたしがそうであるとは限らないのです。
同時に、この思考と感情をリアルタイムで味わっているのは当人だけなので
あなたがこの文章を読んでいるときにわたしは
もしかしたら、この気持ちを味わわずに、とっぷりとお風呂でリラックスしている
可能性もあるのです。
だから、いまのわたしはあなたに共感できるけれど
未来のわたしはあなたに共感できないかもしれないのです。
よく、辛い気持ちについてネットで検索をかけると
わたしも昔おなじような経験をしたのです、という体験とともに
解消法や考え方が書かれていることが多い。
そんな時にわたしは
それはあなただからできたことで
いまのあなたはハッピーエンド!(←?)
違う世界の人間でしょう(自分はこんなにしんどいのに…)
なんてことがふと頭をよぎるのよ。
うまーく合理的にね、参考できる部分だけ参考にしてればいいんだけど
そんなに上手くはいかないのよ。
だって、認知がゆがんでいるんだもの。
なのでね、数冊の信じようって決めた本を相棒にして
あとは専門家さんと協力してなんとかするのがいいと私はそう思うよ。
餅は餅屋。
【本題】
で、以上書いてきたこと。
これが何より私にはなんとも難しくて失敗してきたことで
今回なんとかせにゃなと思っているところ。
苦しさから脱しようと
本や映画の中に救いを求めて彷徨ってしまう自分。
ほめ日記や認知行動療法も気づいたらしてなかったからね。
本もほぼ全部捨ててたし。
恐ろしいまでの飽き性。気分の変動の激しさに通ずるものがある。
ブログと手書きの日記をつけていれば継続できるかな…。
とりあえずこの問題は腰を落ち着けて取り組んでいこう。
とりあえず、いまのところ瞑想が2週間続いているから
もうこれだけやっていればいいということにする。
苦しくなったら、瞑想関連の思想にちょっと手を出してみる。
あれこれ手を出して総崩れは避けよう。